【書評:エッセイ】孤独の価値(森博嗣)

何かの歌詞であるようなフレーズだが「孤独とは自由である」というような表現をよく見かける。僕はこの表現がその通りだと思う。人間は自由になるためには孤独でなければならないし、孤独であるためには自由でなければならない。それはある種、孤高とも言えるだろう。

【書評:エッセイ】孤独の価値(森博嗣)

この本は僕の中で重要な位置づけの本になる。森博嗣先生の本は一時期よく読んだ。自分が何をすれば良いかわからない時期があり、そういった時期に自己啓発本のようなものを沢山読んで謎のやる気に満ちていた頃だろうか。突然鈍器で頭を思い切り殴られたかのような感覚に陥ったものである(イメージです)

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孤独と自由は同じもの

若い頃の僕は、人よりも優れなければならない、人と仲良くしなければならない、そして競争には勝たなければならないという固定観念に縛られていた。これは一種の矛盾をはらむ。隣人は友であり時に敵である。そのようなことを考えるだけで吐き気がしたものである。

今では別にそのようなことをあまり考えない。人それぞれ得意なことや苦手なことがある、人それぞれの社会における役割があるだろうと僕は考えている。また、競争ってそもそも何だったんだ?と思う。学歴を得るための受験も結局はサラリーマンの中での序列を決めるためのレースに過ぎなかった。そう思うと、本当のたたかいを知らぬまま生きている人間も多い。

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様々なことを複雑に考えれば考えるだけクラクラとしてきてしまう。よく、男というものは歳を重ねれば重ねるほど友人と呼べるような人間が減ると言う。また、ビジネスの仲間は築けても学生の頃のような友人関係は築きにくいとも言う。ああ、その通りだなと今になるとわかる。また、そういった意味合いのあるチームの方が僕としては付き合いやすい。

男はある程度は孤独でなければならないと思う。誰かが学生時代の友達というものは利害関係が絡まなくて良いと言っていた。なるほど、そうか。僕にもそういった利害関係が絡まない人間は少しだけいるが、やはりいつもその人たちといるわけにもいかない。基本的には仕事に関することを行い、独りで悩み考え、問題に立ち向かっていかなければならない。いつからか他人に重い悩みを相談しなくても生きていけるようになった。色々なことに慣れてしまったのだろう。

毎日がパーティーだと嫌になる

毎日が騒がしいというのは嫌だ。毎日は静かな方が良いと思う。飲み会や小さなパーティーのような集まりに顔を出すことも若い頃は好んだが、今では避けている。一人でカフェで読書やPC作業をし、BARで知らない人と話して息抜きをするくらいが丁度良い。

振れ幅があるから日常生活は輝く

毎日が淡々と過ぎるからこそ、たまの飲み会やパーティーのような遊びが楽しいと感じる。逆もあるだろう。毎日遊んでばかりいたらかえって一般人が苦痛だと思うようなことが楽しいと感じるかもしれない。結局はそういったことである。

まとめ

僕はできる限りは日常を静かに暮らしたいと思ってしまう。時には騒がしい時もあるだろう。そういったイベントなどの一瞬の出来事が素晴らしいと思うのは独りの平凡な時間があるから映えるのである。